「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
皆さんはこの言葉を聞いた事はありませんか?
鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルク(1815年-1898年)の言葉です。原文は
『Fools learn from experience, wise men learn from history』で、
この言葉の意味は、何かを判断するとき、自分の経験則だけに頼るのではなく、
他者も含めた過去の歴史に学ぶことでより良い判断ができる、という事です。
歴史を学ぶ事で、必ず世界の本質が見えてきます。
本日は大暴落の歴史について紹介します。株価の大暴落はどの様に起こるかを学ぶ事でこれからの相場との向き合い方について考える事ができるのではないでしょうか。
■目次
- バブル大暴落の歴史
- チューリップバブル
- ウォール街大暴落
- ブラックマンデー
- ブラックマンデーを引き起こし日本を不況に陥れたプラザ合意
【バブルと大暴落の歴史】
株価の大暴落と聞いてあなたは何を思い浮かべますか?直近で起こった大暴落はコロナショック でしょうか?
2020年3月に新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、世界各国の株価が大暴落が起こりましたした。これも間違いなく歴史に残るニュースになった事でしょう。
当時、私はトレードをしていたのですが、今までのセオリーや当たり前とされていたものが一度すべて狂い市場は正にカオスな状態になったのを肌で体感し、恐怖を覚えました。
このコロナショックの様な経済危機や株価の大暴落は約 10年に一回のスパンで起こっているのをご存知でしょうか?
ちょうどリーマンショックや東日本大震災から約10年経った、2021年にコロナショックという株価の大暴落を起こりました。これは金融に精通している人たちにとっては必然であったという意見もある程です。

大暴落の歴史を語る上でかかせないのがバブル経済です。バブル経済は、急激に株や土地などが高騰して、最終的に崩壊する経済の事です。以上な暴騰を経た後に最終的にバブル崩壊を起こす事で、株価の大暴落が起こります。
以下が有名なバブルと暴落の歴史です。
◆1637年2月3日:チューリップバブル
◆1929年10月24日:ウォール街大暴落(世界恐慌)
◆1987年10月19日:ブラックマンデー
◆1990年1月:日本のバブル崩壊
◆2000年3月:ITバブル(インターネットバブル)崩壊
◆2008年9月:リーマンショック
◆2020年コロナショック
本日はこれらについて深掘りしていきます。今回の記事は2つに分けていますので是非次の記事も併せて読んでみて下さい。
【チューリップバブル】
世界で最初に起こったバブルと大暴落は、1637年にオランダで起こった「チューリップバブル」とされています。
チューリップバブルとはオランダ黄金時代のネーデルラント連邦共和国において、当時オスマン帝国からもたらされたばかりであった、チューリップ球根への投資がブームとなり、加熱しチューリップの球根の価格が異常に高騰し、突然に下降した期間を指します。
チューリップバブル下のチューリップの球根は、当時の一般の人の年収20倍等の高値にもなりました。 取引としては、来年収穫するチューリップの球根を予約購入を手形で決済する先物取引が行われていました。
チューリップバブルの崩壊は、1637年2月3日に突然起こり、球根の価格が6週間で10分の1になり、最終的にはバブル前の価格に落ち着きました。

チューリップバブル崩壊の影響はというと、オランダ経済にほとんど与えなかったことでも有名です。一般的にバブル崩壊後は経済の停滞を招きますが、例外的にチューリップバブルでは個人レベルでの少数の破産者と成金を生み出しただけで終わっています。

上の画像は当時のチューリップバブルを模した『Wagon of Fools(愚か者の車)』(ヘンドリック・ヘリッツ・ポット(英語版)画、1637年)という絵画です。
織機を放棄したハールレムの織物工らが、チューリップを見せびらかす貴族が乗る車の後ろをついて歩いています。チューリップを派手に描いた旗がたなびく中、花の女神フローラは腕にチューリップの花を抱え、酔っ払いや、両替商および女神フォルトゥーナと共に、車に乗って断崖絶壁の海へ向かってしまっている、即ちの墜落へと向かっている、という当時の社会を風刺した絵画です。
このチューリップバブルは現代で言う、ビットコインバブルとよく似た感じでしょうか。
チューリップの球根であろうが、ビットコインであろうが、どの様な商品でも投資対象になり、需要が供給を大きく上回れば、バブルは発生し価格は高騰しますが、いつかはそのバブルは必ず弾けて適正価格に落ち着くのです。
この様なバブルは人為的に作られていると私は考えています。この絵画に出てくる織物工の様にならない様に気をつけないといけないですね。
【ウォール街大暴落(世界恐慌)】

史上最も有名な株価の大暴落が「ウォール街大暴落」だと思われます。
世界恐慌とは 1930年代にアメリカを皮切りに世界的に起こった深刻な経済恐慌のことです。
それまでのアメリカ経済は株価は好調で、ヨーロッパで戦地第一次世界大戦の恩恵を受け空前の好景気でした。その影響もあり1928年から1929年にかけて急激に上昇しアメリカに株式投資ブームが起きました。
その投資ブームは1924-29年の5年間でダウ平均株価は5倍に高騰しました。その後、NYダウは、1929年9月3日に最高値をつけます。

しかし、その後遂に株価が徐々に下がり始め、ついに大暴落の最初の日10月24日(木曜日)「ブラックサーズデー」を迎えます。その後、連日で10%以上の下げを見せ、株価崩壊が起こりました。この連続的な 10%以上の下落が連日続いた事により大不況に陥りました。
NYダウは、1930年に一旦上昇しますが、世界的不況の世界恐慌に入り、1932年7月8日まで下落。 41.22ドルという史上最安値を付け、最高値から89%もの下落をしたのでした。
世界恐慌の時期は国によって若干異なりますが、ほとんどの国では1929年に始まり、1930年代後半まで続きます。
この世界的な大不況が第二次世界大戦へと世界各国を向かわせた間接的な原因となりました。
この世界恐慌は20世紀の中で最も長く、最も深く、最も広範な大不況でした。
【ブラックマンデー】
■ブラックマンデー
ブラックマンデーは、1987年10月19日に起こった世界的な株価の大暴落です。 NYダウが、先ほどのウォール街大暴落を上回り、22.6%下落しました。 日経平均株価は、14.9%下落しています。東証1部の約49%の銘柄がストップ安になり、下落幅歴代1位となっています。
しかしブラックマンデーは、単体の下落としては下落幅歴代1位ですが、その後の下落局面を伴わず、徐々に上昇。 ブラックマンデー発生時の株価に1年10ヶ月ほどで戻っています。

これは、世界恐慌を併発したウォール街大暴落時、株価が戻るのに33年ほどかかっているのとはかなりの期間の開きがあります。
ブラックマンデーの原因は、さまざまな要因が絡み合って起こったといわれています。
ブラックマンデーの引き金を引いたのは西ドイツの利上げであるとの指摘や、ルーブル合意の協調政策の破綻が原因であると見る考察などがありますが、実際のところは分かっていません。1980年代初頭の米国の双子の赤字問題に原因があるとの見方もあります。また、金融工学を使ったプログラムでの自動売買システムにより拡大したという話もあります。
しかし私の個人的な意見としては当時、世界主要五カ国で取り決めがなされたプラザ合意が原因であると考えています。
【ブラックマンデーを引き起こし日本を不況に陥れたプラザ合意】

日本の経済の歴史を勉強すると見えてくる、日本の衰退を招いた転換点となっているタイミングがこのプラザ合意だと私は考えています。
もし当時のイケイケどんどんであった日本が、このプラザ合意を受ける事がなければ、今の日本はもっと豊かな国であったんだろうとすら考えてしまいます。
この歴史的大転換点であるプラザ合意について解説します。
■プラザ合意
プラザ合意とは、1985年にG5が協調してドル切り下げ(ドル売り)について宣言したものです。
プラザ合意の背景は、1980年代前半、米レーガン大統領はレーガノミクスという「強いアメリカ」政策を標榜してドル高を肯定していましたが、結果的には失敗し、経常赤字(特に貿易赤字)と財政赤字という「双子の赤字」が定着してしまいました。
当時のアメリカの貿易赤字は日本やドイツの経済成長に米国企業が押されていたこと、そして、財政赤字はベトナム戦争やイラン・イラク戦争等への支援によって拡大したものが原因です。
しかも経常赤字拡大や石油危機など様々な問題が重なった事によりインフレが発生し、その対策として米国では高金利政策が取られていました。これによりドル高が進行していたのです。
一方で、当時の日本は目まぐるしい経済成長と自国通貨安の恩恵を受けおりアメリカを追い抜く勢いで経済成長をしていました。
日本企業は競争力を強め、輸出産業の目を見張る成長がありました。『ジャパンアズナンバーワン』という言葉が当時の日本では流行っていたほどです。
このドル高によって追い詰められていたアメリカ経済を、プラザ合意という強引な為替レートの引き下げる事で、米国はこの双子の赤字(財政赤字・貿易赤字)を解消し自国を守りたかったのです。
特にアメリカを筆頭とした世界のターゲットとなったのは当時世界第2位の経済力を確立し、アメリカを抜く勢いすらある日本でした。この驚異的的な日本やドイツの成長を、米国の製品が世界で売れなくなった原因にして、各国協調でドル安に誘導しろという要求を突きつけて、合意に至ったのです。
当時の世界は1ドル308円のスミソニアン体制が崩壊して、変動相場制に移行していました。そしてプラザ合意前までのドル円の為替レートは1ドル240〜260円程度で推移していました。

しかし、プラザ合意が行わた以後、1週間で210円まで急落、その後下落は続き翌年1987年の年末には120円台まで急落しました。たった1年強で半値以下になったのです。
これは日本の国内から見れば、アメリカの製品が半値で買えてしまう様になる訳ですし、反対にアメリカ国内から見れば、日本の車などの製品は、1年強で2倍の価格になる為買いにくくなり、日本車の輸入を減らす事ができるのです。
結果的にはプラザ合意による協調介入によって、円高ドル安が進みました。日米間の貿易摩擦は一時的に解消しました。
このプラザ合意という大きな世界の金融市場の転換を機に起こったドル安は、米国のインフレ懸念を引き越しブラックマンデーを生みました。そして長期的な円高トレンドを引き起こし日本のバブル崩壊と円高不況、そして『失われた20年』を生んでしまったのです。
このプラザ合意は簡単に言えば米ドルの価値を急落させるというものです。つまり、その米ドルで価値を図られているダウ工業株価指数などのアメリカの株価指数も下落するのは当然なのです。
そして下落する事が分かった投資家は一斉に株を売却し、恐怖がまた恐怖を読んで株価は大きく下落したのではないでしょうか。
このブラックマンデーの発生により、米国では1988年に金融市場において価格の急変時に、一時的に売買を停止させ、冷却時間を置いた後市場を再開する制度「サーキットブレーカー」が設けられました。
そしてそのシステムは、日本でも東京商品取引所、大阪取引所の先物・オプション市場においても導入されるようになりました。
今回の記事はここまでです。この記事の続きは次回のPart2を見て下さい。是非この知識を
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ではまた次回!
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