第二章:【※最重要事項】お金の本質と歴史

第二章:【※最重要事項】お金の本質と歴史

第二章を読んでいただきありがとうございます。この章では、現在私たちが毎日無意識に使っているお金がどのような物であるかを歴史を通じて学べる内容となっています。

これを読むことで知っているようで何もわかっていない『お金の本質』について学べる内容となっています。

皆さんは金のために働いている人が殆どであると思います。当然ですよね。現代社会においてお金さえあれば、欲しい物はほとんど買えますし足りないものや問題はお金で解決できるような社会システムになっているのが事実です。

 多くの人は、雇われて固定の給料を得て、ローンを借りて家を買い、その金利を含めたローンの返済と生活に追われて、返し終わった時には気づけば老人になっています。多くの人がこのようなフローの中で一生を終える、このモデルはお金の奴隷になっていると同意であると私は思っています。

 日本人はファイナンスの知識のある人がとても少ないのが現状ですし、学校教育でもほとんど習いません。

そして濃淡が無く歴史を丸暗記させるので、何が重要な歴史的な転換点であったかやお金について何も理解できずに社会に出てしまいます。

しかしこのお金の知識は、投資やビジネスを行う際にはとても重要で人生を豊かに生きていくには必要不可欠なのです。

この第2・3章を読むだけで、今まで知らなかったお金の正体が何なのか、本質を一発で理解できるようになります。是非あなたの家族や愛する人に教えてあげて下さい。

 ■目次

  • 金融システムの変化と変動相場制
  • 金融システムが一変したきっかけニクソンショック
  • ブレトンウッズ体制とは
  • ブレトンウッズ体制の問題点
  • ニクソンショック・ドル危機に至った背景と意図
  • 日本のニクソンショックの影響
  • まとめ

【金融システムの変化】

金融システムは、時代と共に変化をしているのをご存知でしょうか。現在私たちが使っているお金の仕組みは50年前や100年前、200年前とは全く別の仕組みなのです。

現在の日本の金融システムが始まったのは1973年からで、『変動相場制』という仕組みをとっています。

変動相場制とは、為替レートを外国為替市場における外貨の需要と供給の関係に任せて自由に決める制度の事です。フロート制とも呼び、オンライン化された国際証券集中保管機関という機関で運用されています。

簡単に言えば、二国間の通貨の需要と供給により貨幣価値が決まるシステムという事です。

この説明だけでは何か分からない方が多いのではないでしょうか。この仕組みがどのような仕組みかを理解するには歴史や、当時の背景を理解する必要があります。

【金融システムが一変したきっかけ『ニクソンショック』】

Photo by Pixabay on Pexels.com

現代の金融システムに切り替わった、世界的な大事件をご存知でしょうか。

それが『ニクソンショック』です。

この『ニクソンショック』こそが現代の金融システムを理解する為の最重要の歴史なのです。おそらく現代史で一度くらい聞いたことがある人が多いのではないでしょうか。これが現代の貨幣制度である変動相場制が始まる事になったきっかけです。個人的には歴史の中で学ぶべき最重要事項であると考えています。

◆ニクソンショックとは:

ニクソンショックとはどのような出来事でしょうか。

 『ニクソンショック』は、『ドル=ショック』『ドル危機』とも呼ばれています。
 これは、1971年8月15日、当時の米大統領リチャード・ニクソンがドルと金の交換停止などの措置を発表し、市場が大混乱し、世界秩序が激変したとされる出来事です。それによってドルを基軸とした国際通貨制度が大きく動揺しました。 

 まず大前提として認識をして頂きたい事は、このニクソンショックが起こる以前の世界は、基軸通貨は米ドルであり、金と交換ができる唯一の通貨は、数ある全世界の通貨の中でアメリカの米ドルだけということです。

 もともとニクソンショック以前のアメリカでは、通貨ドルを銀行に持っていくとレートに基づく「金」と交換(兌換)してくれる、という仕組みがありました。この金と米ドル紙幣が必ず交換できると言う仕組みのおかげで、アメリカドルの価値が担保されていました。

当時のニクソンショック以前の金融システムでは、アメリカドルは金(Gold)による裏付けがあるからこそ世界の基軸通貨としての信用があったのです。

 米ドルが基軸通貨としてIMF(国際通貨基金)を支え、このアメリカの米ドルと金のみが交換できる体制を『ブレトン・ウッズ体制』と呼んでいました。

 このような金と米ドルとの固定レートによる信用があった貨幣制度が当たり前であった世界において、当時のニクソン大統領は、金と米ドルの兌換を突如停止すると言ったのです。この発表はとてつもなくインパクトのある出来事であり、これによし市場は大混乱が起こりました。

ダウンロード

【ブレトンウッズ体制とは】

 ブレトンウッズ体制についてもう少し深ぼっていきます。

 ブレトンウッズ体制とは、第二次大戦後に米国と戦勝国を中心に作られた、為替相場安定化のメカニズムの事です。1944年、日本の敗戦がほぼ確定していた最中、次の世界の秩序を作る為の体制を、米国にあるブレトンウッズホテルに連合国の代表が集まって決めました。これを「ブレトンウッズ体制」とびます。

 これは、第二次大戦の勃発の原因であった、為替相場切り下げ競争の再発を防ぎ、戦後の復興に欠かせない、貿易の円滑な発展の為の決済システムを作ろうというものです。

基本的には、戦前の金を国際決済手段とする金本位制への回帰ですが、過去と異なる点は、各国通貨と米ドルの交換比率を固定し、ドルだけが金と交換比率を固定するという、ドルを間に挟んだ金本位制です。これを金・ドル本位制とも呼びます。

 金とドルの相場を固定し、ドルと各国通貨の相場を固定するということは、戦前の金融体制である、金本位制と実質的には同じと思われるかもしれません。

ブレトンウッズ体制以前、との大きな違いとしては、金本位制では各国間の決済が原則的には金で行われていたのに対し、金ドル本位制では米ドルで行われたと言う点です。


 このブレトンウッズ体制の狙いは、今まで貿易で使われていた金から、アメリカの米ドルを国債基軸通貨にするという意図でした。その為には、米ドルの信用が各国共通で金と同じ用に必要です。そこで、米ドルと金を唯一固定レートで兌換できる通貨とする事で、世界で共通で使う取引の媒体を、金からドルへ移行させたのです。

【ブレトンウッズ体制の問題点】

 しかし、ここでこのブレトンウッズ体制の金ドル本位性に致命的な問題が発生します。

金の量が増える(採掘)スピードに対し、経済回復と経済成長につれて米ドルの増えるスピードが早すぎて、その二つの価値に、大きな乖離が生まれていったのです。

 増えにくい金を担保にしているのに、米ドルがどんどん増刷されるという矛盾が、時代が進むにつれどんどん露呈していったのです。これに気が付いた人から、米ドルを金に変えていきました。

当時、金を保有していた方が米ドルを持っているよりも資産価値が大きく上がるという状況が生まれたのです。これは市場の歪みです。

【ニクソンショック・ドル危機に至った背景と意図】

Photo by Michael Steinberg on Pexels.com

 前述までがブレトンウッズ体制についてですが、この体制が崩壊に至った背景と、ニクソンショックをアメリカが引き起こした意図には何があったのでしょうか。

 現代社会の金融体制は変動相場制をとっているとお伝えしました。

二国間の為替のレートは、例えばドル/円のレートは1ドル100円になったり120円になったりして日々変動をしています。このように2国間の通貨の需給によって価格が変動していく金融体制を変動相場制です。

 対して、このニクソンショック(ドル危機)より前のブレトンウッズ体制下(固定相場制・金ドル本意制)の為替レートは固定され『1オンス35USドル』『1ドル360円』で定められ全く為替の価値が変動しない世界でした。

 ニクソンショック(ドル危機)に至るまで 第二次世界大戦後の1950年代は、ヨーロッパ各国や日本は第二次世界大戦からの復興の為に輸入超過が続き、世界は米ドル不足の状況でした。

 しかし1960年代にはヨーロッパや日本の経済が復興を遂げ産業が活発化し出すと、日本やドイツなどの敗戦国を筆頭にアメリカへの輸出を増加させていく事で、各国は米ドル不足を解消し、むしろドル過剰の状況となりました。

 それだけでなく、アメリカはロシアとの冷戦による軍事費の増大や、当時の大方の予想よりも長引いてしまったベトナム戦争の戦費が大きな負担となり輸入が増え対外負債が増加すると言うトリプルパンチ以上のものを食らって経済大打撃を受けたのです。

 現在のドル/円のレートは1ドル約122円です。当時のブレトンウッズ体制下のドル/円の相場は1ドル360円です。

 当時とは時代背景や2国間の力関係が全く違いますので一概に比較はできませんが、単純に今の3倍以上円安と言う事になります。当時のアメリカ市場には激安の日本製製品が多く流入しそれは飛ぶように売れ、アメリカ国内産業はその価格差によって大打撃を受けたのです。この時期に大きく成長したのが今の日本のTOYOTAなどの大手カーメーカーや大手家電メーカー達でした。

 このようにして経済成長と共に、基軸通貨である米ドルを獲得していった日本とヨーロッパを始めとした各国は、獲得し過剰となった米ドルをアメリカの金と交換(兌換)し自国へ持って帰った為、金がアメリカ国内から流出し、アメリカの金保有高は急速に激減していったのです。

 戦後、アメリカが他国に比べ大量に金を所有していたという圧倒的な経済力の裏付けがあってこそ、米ドルを基軸通貨とするブレトンウッズ体制が成り立つのに、アメリカ以外の諸外国の経済成長と追い上げが始めると当時ほどの圧倒的な経済力の差はなくなり、金ドル本位制の維持が出来なくなっていったのです。

 そして、所有していた金の大量流出にアメリカが耐えきれなくなった結果、当時のアメリカの大統領であるニクソン氏が、突如金と米ドルの固定レートでの交換の廃止を発表したのです。

 これによって金価格と円の価格が高騰し、米ドルの価値が暴落したのです。下のグラフはドル/金の価格推移のチャートです。1971年まではほぼ横ばいですが、1973年頃から一気に暴騰しているのが分かるでしょうか。

 このような要因からブレトンウッズ体制は維持できなくなり、『ニクソンショック(ドル危機)』が起こったのです。

これらのニクソンショックが起きた原因を簡単にまとめると、

■ドルの金交換に応じられないほど米国の金保有量が減ったことにより、

■戦後の金とドルを中心とした通貨体制の維持が出来なくなった

事から、変動相場制へ変えざるを得なかったという事です。このようにして現在のお金の制度に移り変わっていったのです。

【日本のニクソンショックの影響】

 当時の日本の立場からみた場合も考えてみます。

 当時のブレトンウッズ体制下において、固定為替制度の1ドル360円という超円安によって支えられていた輸出産業を軸とした日本の経済成長が、アメリカの一方的なドル切り下げにより、大きく動揺し、高度経済成長の時代から低成長時代に転換を余儀なくされました。

 これ以後の日本は変動為替制で円高・円安に一喜一憂しながら、国内産業の生産基盤の転換を図らなければならなくなったのです。

 戦後の日本経済は輸出企業特に物づくり企業が支えていると言っても過言ではありあせん。現代社会においても円安になると輸出企業の業績が好調になるという話を聞いたことがあると思います。

 円安になれば、国内で製造した輸出製品を、海外市場に安く提供でき、外国企業と比較した時に競争力が増し、物が売れて業績が上がり外貨を獲得できるという点でそのような事が言われています。

 2022年4月現在の為替レートは1ドル122円前後です。当時のブレトンウッズ体制時の為替レートは1ドル360円ですので、アメリカ市場で出回る日本車の価格は現在の1/3ぐらいだったという感覚でしょうか。(当時の生産能力の差や製造コストの違いなどは全く考慮しておりません)

 私たちが中国やバングラデッシュ、ベトナム製造の人件費の安い国の製品を買う感覚と全く同様です。このような、諸外国の発展により、アメリカ経済にとってデメリットになってしまった体制(ブレトンウッズ体制)をアメリカは是正し利益を守りたかった為、現在の変動相場制へ移行したのです。

【まとめ】

 このような流れと背景から、ニクソンショックにより世界経済は金ドル本位制の固定相場から、変動相場制に移行していきます。

 1976年1月にジャマイカのキングストンで開催されたIMF暫定委員会で変動相場制が承認され、これをキングストン体制というようになりました。

 このような流れの中で、ニクソンショックや様々な背景や影響により固定相場制から現在の変動相場制に変化していったのです。

 このように世界の通貨システムは歴史と共に時代によって大きく変化します。そしてこれは私自身の考えですが、この資本主義経済と、変動相場制は遅かれ早かれ変革されると考えております。

 需要と供給と借金で成り立っている現代社会の変動相場制にも、ニクソンショックが起こる寸前のように無理が来ているのです。また、今や仮想通貨やブロックチェーンなどのテクノロジーの進化により大きく時代が変わり、現代社会においての金融のあり方に大きな変革をもたらしています。

 この金融体制の変革についてはまたご紹介をしていきます。

今回の章を読んでお金の本質に気づくことができたのではないでしょうか。

次回の章では、現代貨幣の本質についてご紹介をします。

 

お金の勉強カテゴリの最新記事

%d